聞いてほしいこと
小説ではありません。この厨二全開のブログ主の私、やまリンゴのペットの話です。
大分気持ちが落ち込んでいて、鬱な部分がありますか、ご容赦ください。鬱なのいつものことですけど。
私の家では一匹の猫を飼っています。私のサムネイルにもなっています、私がまだ保育園だった頃に間違って引き取ってきた黒白のぶちネコです。
間違って、というのは、元々は母の知人が猫を譲っていただけると言うので、ペットショップ(だと思われる。路上に動物いっぱいいた記憶あり)を通して引き取ってきたのです。ところが、母は引き取ってすぐに知人に電話し、キジ猫のはずがブチの子を貰ってきてしまったことに気付きました。すぐにブチの子をショップに置いてキジ猫を引き取ろうとしましたが、既にキジ猫は別の家庭に。猫だったらいいか、と思った母は、そのままぶちの猫を飼うことにしたのです。
名前は「リン」。私に名付けたかったけれど周りが大反対した名前だそうです。でも、女の子の猫なのに、「りんたろう」「りんのすけ」など、男子名で呼ばれていました。呼びやすかったので……。
リンは非常に大人しい猫でした。ほとんど鳴かず、滅多に噛んだり引っ掻きもしなかったです。せいぜい、餌をやり忘れて旅行に行った時、餌やり担当の父の枕に糞と尿のコンボを一度ほどやっただけでしょう。
私はと言いますと、末っ子で、しかも他の家族よりも立場は低かったので、猫になめられてはいました。私はしょっちゅうちょっかい出すのもあり、リンにひっかかれまくり。怒っても仕方がないほどしつこいちょっかいだったので自業自得でしょう。小学校高学年になってから手に入れた自分の部屋を、リンが侵入、独占、布団猫の毛だらけ、布団を剥ぐと猫、なんてザラでした。リンにとって私は、リンの部屋(とリンが思っている部屋)にたまにくる人間、みたいなもんだったのだと思われます。
猫パンもよく食らっていました。耳までざっくりやられたときもありました。でも、本当に自業自得の何物でもない。ちなみに、リンは私からちょっかい出さないかぎり、絶対手(前足)は出さない猫でした。
リンは生まれつき心臓が弱く、多分、7,8年くらいだろう、と言われました。実際、避妊手術したら弱っているし、近所の猫とケンカしたら結構ケガして帰ってきてぐったりしているし。
だからこそ、我が家は本当にリンを可愛がっていました。
別に甘やかしたわけでもないです。遊んであげたり、ベッドを作ってあげたりしてみただけです。なでなでして、毛繕いしてあげてました。お風呂にも最初は入れていましたが、ビビったリンが糞をしたのでいれなくなりました。
私が中学になってからでしょうか。リンは帰ると玄関までお出迎えするようになりました。家に入ると、リンがいて、無言でご飯!とねだってくるのです。彼女なりのおかえりで、私はそれが可愛くてしかたありませんでした。
その頃のリンは非常に太っていて、大体5kgほど。避妊手術以降から太って立派なデブネコちゃん。ムニムニすると気持ちよかった記憶があります。
冬は寒く、布団も冷たい。だから私はよく、リンを抱いて布団の中に入りました。抱っこは苦手で抱くと30秒もせずに私に猫パンを食らわせてくるリン。しかし、布団の中に入ると、顔を私の腕に乗せてゴロゴロ。とても温かく、ぬくぬくで気持ちいい。
成猫と比べ、年を取ってきたこの頃、猫なで声と可愛い顔の作り方をマスター。コロッと騙されてご飯をあげてしまう可愛さでした。しかし、普段は近寄るなオーラが素晴らしいブスッとした顔。だけれど、そこがいい。
年を取った、と実感したのは、2013年、7月のこと。
丸々と太っていて、もっふりしていたリンが、痩せはじめました。最初、両手で抱えないと重くて仕方なかった体は、8月の最初には片手でも大丈夫そうなくらい軽くなっていました。
水も異常な程に飲み、あちこちの水を求め、トイレもすぐにいっぱいになるほどでした。原因がわからず、私たち家族は首を傾げました。それでも、リンは元気でした。むしろ体が軽くなってできなかった高いところへのジャンプが楽しいらしく(けれど降りれない)、降りれない、助けて!というヘルプの鳴き声聞くこともしばしば。
なんで乗るんだよー……と呆れておりました。
8月中旬。私たち家族は黒部ダムの方にでかけていました。景色も素晴らしく、顎の手術で入院して、退院したばかりの私も久々にはしゃぎ、久々の家族旅行を楽しんできました。
帰ってきたら、リンが下痢とゲロで苦しんでました。
廊下、台所、玄関、リビング、階段……いたるところにゲロと下痢。上機嫌で帰ってきた私たち家族、少し泣きそうでした。リンが一番の修羅場だったので、家族総出でリンに謝罪。リンはぐったりしていました。
1日経っても水すら飲まず、ぐったりしているリン。これはまずいと思い、病院に連れて行きました。そこで点滴を受けました。
お腹を壊した原因は、焼いたホッケ。滅多に焼き魚に反応しないリンが、黒部ダム行く前日に兄が買ってきた大きな焼いたホッケに反応。ほんの少しだけあげると見たことないぐらい美味しそうにはぐはぐ食べていて、こっちも嬉しくなってしまいついついあげてしまいました。
これ以降、我が家ではホッケはもちろん、焼き魚を基本的に禁止にしました。
ぐったりとし、ああ、これダメかもなあ、と半ばあきらめていた時、点滴の力ってすごいですね。リンがやっと自分で食べるようになりました。死んでいた目も、生き生きとして、にゃんにゃん鳴くようになってきました。
それでも、リンは少しずつでも変わって行きました。
まず、猫用のトイレでおしっこすらできなくなりました。
糞もです。
理由はわかりませんが、数か所でおしっこをするようになったのです。床はびしょびしょ、気づかないで踏むことも多く、困りました。対策として、犬用のペットシートを置き、ここにならおしっこしていい、とするようになったのです。大抵はこれでどうにかなるようになりました。
高いところにジャンプもできなくなりました。
ただし、ドア代わりにしてた兄の部屋の前に置いた段ボール(高さ6,70cmぐらい)を、よじ登ってはいました、つい先週まで。
ご飯をよく食べるようにもなりました。
夜泣きもひどくなりました。
鳴き方も変わりました。
お風呂場に喜んで来るようになりました。
それでも、リンは年を越しました。祖母の家に私と一緒に泊り、のびのびしていました。
母の後をついて回って歩いてました。
今年の1月18日が終わり、真夜中。リンがよく鳴いていました。いつものことなのでほっておきました。餌もたくさんあげたので、これ以上はダメだ、と抱っこもしました。下ろすと、少し不満そうにしてましたが、自分のベッドに戻りました。
次の日は日曜日でした。
リンは一口もご飯を口にしませんでした。水は飲むけれど、元気はありませんでした。どこか虚ろでした。
大丈夫かな?と心配になりました。寒いところに座り込んでいるのでだきあげてました。違和感がはっきりしたのは、下ろしてからでした。
リンは、ほとんど歩けなくなっていました。倒れてしまいました。
水も座って飲めなくなっていました。座るのもしんどいのです。
顔が無表情でした。
何をしてあげても、興味もなく、反応しませんでした。
呼びかけてあげるとほんの少しだけ耳を動かし、しっぽを少しだけ振るだけ。目は少しも動かなくなっていました。
昨日まではちゃんと表情はありました。座れてました。よぼよぼだけど歩けてました。でも、今、全部無いんです。
ああ、これはダメだ。もうこの子は死ぬんだ、と確信しました。
8月から覚悟はしてました。でも、いざ、本当に弱るの見ていると辛いですね。
夜中、地獄の底から叫ぶような鳴き声に驚いて飛び起きました。リンの声じゃないように聞こえました。
朝起きても、リンはベッドに寝ていて、呼びかけてやっとしっぽで返事をしました。
私が家に帰ってきても、それは同じでした。
水場に連れてきて、水を飲ませました。水を飲むリンを見て、少し安心しました。
餌には口は付けていませんでした。喜んだ方の餌なのに。
多分、もうすぐリンは死にます。
多分、死んだらまず、ホッとするんだろうな、と思います。
夜鳴きにびっくりして起こされることも、そこらへんにおしっこがないか確認して歩くことも、誰か家にいなきゃ、と気を遣うこともないですから。
でも、寂しくなるだろうなあ……。家に帰るとリンがいて、おかえり、としてくれたのが当たり前でした。留守番してもリンがいれば満足でした。そのリンがいなくなるなんて、私にとってはほぼ初めてのことです。
記憶がある頃からいるリン。
せめて、最後まで安らかに逝けるよう、私は祈ります。
寂しくないよう、誰かと一緒に穏やかに逝けますよう……。
いなくなるのが正直怖い。ホッとするのが目に見えているけれど、それ以上に怖い。いなくなってほしくない。
いてください、どうか一緒にいてください。寂しいです、悲しいです。
意地悪とかしてごめんなさい。しつこくてごめんなさい。機嫌悪くて荒れて恐がらせてごめんなさい。
生きててほしいです。いなくならないで。いなくならないで。そばにいてください。鳴いてください。引っ掻いてください。餌を欲しがってください。ぐるぐる鳴いてください。偉そうにしてください。
寂しいのです。
寂しいです。